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トップページ > 作家インタビュー:小曽納滝雄さん

小曽納滝雄さん:モクセイオカリーナ研究所

──旅から旅へ、歩いて来たたくさんの道。
そして全ての道は、
ここにつながっていた。

日本中を旅し、辿り着いた先の旭川でモクセイオカリーナ研究所を開いた小曽納滝雄さん。 モクセイオカリーナ研究所の作品については、コチラをごらんください。

モクセイオカリーナ研究所

目次:
旅から旅へ
通り過ぎてゆく旅人
旅人からクラフトマンへ
オカリーナへのこだわり
未来への旅、自分の道。
略歴

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全日本旅行地図 全日本旅行地図
つづいていく旅 つづいていく旅

"オロフレ峠のあたりでお腹がすいてうごけなくなっちゃって。"

小曽納さん ──よろしくお願いします。まずは旅行の話を聞かせてください。高校を卒業して、全然迷うことなく旅行にいっちゃうってのはちょっと不思議ですし、高校生だとまだ家が恋しくなったりしませんか?

小曽納さん ずいぶん昔のことだから・・・(笑)
たぶん、子供のころからそういう願望があったからでしょうね。遠いところに行きたいという。そういう願望が物心ついたころからありました。親戚のおじさんなどにも、昔バイクで北海道に行っただとか、そういう話とかよくきいていて、「ああオレも自転車乗れるようになったら行きたいな」っていう。なんというか、あたりまえのようにこの方向にはいっちゃいましたね。

──じゃあオレは日本一周だと?

小曽納さん そうそう。だから高校生のころから夏休みは一日も無駄にしないで、全部旅行に費やしてました。

──そういうのは、何か本とかに影響をうけたのでしょうか。

小曽納さん うーん、読んだかも知れないけれども。今だったら旅行の選択肢はたくさんあるだろうけど、あの当時はあまりなくて、自転車イコール旅行というか。今だったら、自転車にのってロードレースだとかトライアスロンだとか、いろいろありますよね。あ、自転車に乗るのが好きだったというより、自転車をいじくるのがすきで、でなおかつ旅行が好きだった。それで自転車で旅行かなと思ってました。

──高校を卒業されたのは・・・

小曽納さん 1985年ですね。高校生のとき、ちょっと良い自転車を買ったんです。当時全盛期だったランドナーというのを買いました。

──ランドナーって聞いたことが無いのですが、どんな自転車ですか?

小曽納さん 「ランドナー」というのは、フランス語で「小旅行」という意味だそうです。もともと自転車はフランス・イギリスのヨーロッパが発祥の地だから、フランス語なんでしょうね。でも、ランドナーっていう種類の自転車は、マウンテンバイクが出現して以降、ほとんどなくなっちゃいましたね。

愛車「ランドナー改」。画像クリックで拡大します。

形としては、昔ながらのダイアモンドフレームで、ドロップハンドルで。ドロップハンドルというのは、こう丸くなってるハンドル。あれが、旅行にはすごく適したハンドルなんです。ポジションを変えて、長い時間乗ってられるんです。ストレートハンドルだとワンポジションしかもてないから、長時間乗ってると肩がこっちゃってね。今はもう無理だとおもいますけど、あの当時は物心ついたころからずーっと自転車にのり続けていて、高校生くらいまで自転車に乗らない期間がなかったんです。ずーっと乗ってたから体が慣れてて、ほとんど疲れはかんじてなかったんだけど、もし今乗ってしまうとガタガタになっちゃうでしょうね(笑)。

──初めての旅行はどうでしたか? 楽しかった?

小曽納さん 高校3年生の夏休みを全部つかって、北海道を遊び回ってました。そのときは、ちょうど外周をぐるっと回りました。九月一日が登校日だったのですが、その前日の夜中にやっと家に辿り着いたのを覚えてます。

小曽納さん ──まにあわなかったかもしれないんですよね、それ(笑)。

小曽納さん そう。洞爺湖から函館まで走ったんだけど、そのときにお金が底をついちゃって。とりあえず飲まず喰わずで走らないと間に合わないということで、焦りました。でもお腹がすいてしょうがないんですよ。でもなにももってないから、しょうがないから道路脇に生えてたトウモロコシを失敬して、本当にやばくなったら食べようと。でも、オロフレ峠のあたりでお腹がすいてうごけなくなっちゃって。

──というか、それまでは何を食べてたんですか?

小曽納さん そこらへんの商店で買ったり、じゃがいもを自炊したりですね。で、そのときは農家に飛び込んで、すいません、たべものわけてくださいって(笑)。そしたら野菜とか、おにぎりを握ってくれました。

──やさしいですね(笑)

小曽納さん あの日は一日130kmくらいはしって、若かったですね。で函館の駅でまたどうしようもないほどお腹がすいちゃって。もうだめだということで、コンロと鍋を出して、トウモロコシ茹でようかなと思って、トウモロコシの皮を剥いたら、それが飼料用のトウモロコシだったんです。ぜんぜん実が入ってなくて。がっかりしました。

──結局たべれなかったんですか(笑)

小曽納さん だってたべるところほとんどないから(笑)

──それが高校3年の夏休みですよね。進路のこととかは考えなかったんですか?

小曽納さん うーん。やりたいことは決まってたからなぁ。あまり悩みませんでした。

──やっぱり旅行ですか。

小曽納さん うん。その夏休みがすごく楽しかったから、これはもう日本一周するしかない、とおもってました。
結局それから5年間、半分は資金稼ぎとして働いて、もう半分は旅行をしてました。

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"北海道は特にそういった旅行者に対して開けている土地柄だと思います。
見ず知らずの人間を受け入れてくれるところです。"

──二年半の旅行ですね。長い。

小曽納さん そうですね。日本一周は自転車でしたんですけれども、そのとき、自転車じゃちょっと速いとおもったんです。飛ぶように景色が過ぎていっちゃって。もっとゆっくり楽しみたいのになと。だからそのあと、九州の佐多岬から北海道の宗谷岬まで歩いてということをやってました。

──ちなみに資金稼ぎっていうのはどんな仕事をされてたんですか?

小曽納さん あれは、自動車の期間工です。そこで、エンジンの中の、アイドリングするときに使うギアがあるんですが、それを一人で全行程やらせてもらってました。今の分業体制じゃちょっと考えられないやり方ですよね。金属旋盤のことにかんしては、結構詳しくなりましたね(笑)。当時はバブルちょっと前くらいだったから、結構気前がよくて、基本給にいろんな手当がついて。だから旅の資金も結構安易に稼げてましたね(笑)。旅をしてる途中でも、もちろんお金がなくなっちゃうことがあったので、大きめの町に入ったら、そこで仕事を探したりもしてました。

──旅の途中で仕事を探すというのがよくわからないんですが、例えば自転車に乗って町に入る、仮に旭川に入ったとして、、、その場合住所が無いですよね?

小曽納さん 住所ないですね。

──(笑)そこからどうやって仕事を探すんですか?

小曽納さん うーん、まず北海道だったら、旅行者がたくさん集まるキャンプ場というのが大体どの地域にもあったんです。道南にもあったし、道央にもあった。そういうところに行くと、言葉は悪いですが「人買い」と僕らは呼んでましたが、人手が欲しい農家のお父さん方が、仕事をする人を探してて、朝に車で迎えにきてくれるんですよ。

──???

小曽納さん そういう農家の方々は、職安とかを通して人を探すのが面倒なので、直接来てくれるんです。あそこに若者いっぱいあつまってんぞ、拾いにいくべ、ってことで(笑)。で一日の仕事が終わると、日当とは別に袋に一杯じゃがいもをくれたり。そのじゃがいもだけでも食べるのに一ヶ月くらいかかりました。

──すごい。今もそういうのはあるんですか?

小曽納さん 今は、そういった若者が集まるキャンプ場が閉鎖されちゃったっていうのもあって、昔から比べるとほとんど無くなってると思います。

──それは、本当に色んな人達と友達になれそうですね。

小曽納さん キャンプ場は、長くいる人達のキャンプ村みたいになってました。だから日本全国から、徒歩の人、自転車の人、バイクの人とかが、ほぼ共同生活のような感じになってました。それが一般のお客様にたいして、ちょっと目に余るというか、自重せよということで、人が減っていきました。

──遅れて来たコミューンみたいな感じですね。

小曽納さん そう。最初の一年、二年くらいは問題はなかったんだけど、長くなるにつれて、そういう僕らみたいな集団を見物したくてキャンプ場を訪れる人も多くなって。そのころになると牢名主みたいのが出て来てみかじめ料みたいなことを言うとんでもない人も現れ始めて、それでおしまいですね。

──まったく知らなかった世界です(笑)。ちょっとうらやましいですね。日本中をそういう風に旅行してたんですね。

小曽納さん 北海道は特にそういった旅行者に対して開けている土地柄だと思います。見ず知らずの人間を受け入れてくれるところです。これは僕だけじゃなく、旅行者仲間からよく聞きました。今じゃ考えられませんが、駅の軒先で寝袋を広げて一晩眠ることも、とくに問題視されませんでした。そのころは、今日は札幌まで行けるな、駅前に行けばだれか寝てるからそこに混ざろう、というかんじで、その日の宿のことは特に考えずに行動することができましたね。そこに行けば、君はどこから来たの、ということで一緒にご飯の準備が始まります。 

──それは、今じゃちょっと難しいですね(笑)おこられちゃいますよ。

小曽納さん そういう雰囲気は、90年代半ばくらいから急速に変化して、悪く言うと失われてしまったように感じます。 

──このあいだ公園でサンマを焼いてて送検された人達がいましたね。あれはやっぱり犯罪なんでしょうかね。

小曽納さん ただそういうのも、迷惑にならないように、なるべく気づかれないように、ちゃんと場所と時間をえらんでやるコツがあるんですよ。でも北海道はおおらか過ぎるというか、ちょっと間口が広すぎて、本州や四国の方が大変なぶんやりがいがあるっていう楽しみ方がありますよ(笑)。  

「全日本旅行地図」。画像クリックで拡大します。

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"みんな悩んでるのが、オリジナリティと技術の両立なんです。
技術だけじゃもの作りは成立しないし、その逆もそうです。"

──そして、5年間放浪して、旭川の職業訓練校に。

小曽納さん そうですね。そのときは学校から近い方がいいということで、旭川の豊岡にアパートを借りて住んでいて、三年くらいそこにいたんですが集合住宅が性に合わなくて、結局当麻町のちかくに空屋をかりました。お隣さんには、田舎暮らしのわかんないこと、例えば井戸のポンプをどうすれば冬場凍結を防げるかとか、いろいろ教えてもらいました。早くお金を稼いで、作品づくりの道具をそろえようと一生懸命になっていました。まだ技術的に不安もあったころでした。

──学校では、どれくらいのスキルレベルを身につけることを想定したカリキュラムだったのですか?

小曽納さん カリキュラムとしては、完全に独立して、ひとりで商売できるくらいまでを想定して、おしえてくれますね。

──先生方っていうのはどういう方達なんですか?

小曽納さん 職人さんですね。職人さんは、若い頃から自分で苦労して技を盗んできた人がおおいので、たいがい人にものを教えるのが上手じゃないんです。生徒ができないと、怒っちゃったりとか(笑)。だから学校で教えていた職人の先生方は、ちょっと違って、人に教えることの上手な人達だったとおもいます。本当にすごい技術を持った人達でした。

──イメージが沸かないのですが、すごいっていうのは何がどうすごいんですか?

小曽納さん 例えば機械工作なんかをするときにも道具、機会を使いますが、普通の人ではできないような独特な使い方を持ってるんです。僕らがけがをしてしまいそうなきわどい操作も、身に付いてる動作だからなんなくやってしまって、出来上がるものも素晴らしい。ギリギリのところまで道具を使いこなすという点ですね。

──ふーむ。

小曽納さん だけど、腕のいい人は旭川という土地にはたくさんいるんです。そこでみんな悩んでるのが、オリジナリティと技術の両立なんです。技術だけじゃもの作りは成立しないし、その逆もそうです。

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"理解すれば理解したぶん、そのぶんまた深みにハマるんですよ。
失敗したときのショックが大きくなって、うーんと暫く動けなくなってたり(笑)。"

──小曽納さんは当時から、オカリーナをつくってたんですか?

小曽納さん 学校に入って三ヶ月後くらいかな。それまでも、オカリナやケーナは吹いてたんです。オカリーナは大抵素焼きの粘土ですよね。これを木でつくれないかな、と思ったのが最初です。木製の日本のものがあっても、キットで自分でつくるような、姿のあまりカッコよくないのしかなかった。あと韓国製とアメリカ製のものがあったかな。でもなんか情緒が無くて。オカリナとは違うんじゃないかと思ってました。

だから試しに作ってみようと思って。技術をどんどん教え込まれてる時期だったから、何か作ってみたかったんです(笑)。だから、よしオカリナつくろうと(笑)。そこからいろいろ試行錯誤を繰り返して、最初は、一個のオカリナを四つのパーツで作ったんです。今考えればあり得ないことですが、パテなんかを多用してね(笑)。でなんとか最初の一個目ができたんです。そこで、これで音がなるのか、とおもって吹いてみたら、それなりに音がでたんです。だけど、やっぱり全部の音がでるわけじゃなくて穴の数が多くなればなるほど歌口の性能が重要になるので、それが難しかった。穴を全部閉じた状態からひとつずつ指を離していって、ドレミファソラシドとなるわけですが、指を離すと離した穴から空気が抜ける量が多くなりますよね。そうすると歌口への空気の流量がへりますよね。他に抜けてしまうから。そうなると、歌口の性能がわるいと、指を離すと音がならなくなっちゃうんです。それで、最初につくったオカリナは、5個くらいまでは音がでたんですが、それ以上は無理でした。だけど、音が出た事だけで嬉しくてね(笑)。

それから2個目につくったのは、パーツの数を減らそうとおもって、今「涙型」のモデルがありますが、あれの一番最初の試作品をつくりました。設計の段階で、形が変わってて好きだったんですが、これを作ってみたら、全部指を離しても音が出たんです(笑)。そしたら周りの人達もおもしろがってくれて、これはいける! と(笑)。それから三個目、四個目とつくっていったんです。そしたら全然音が出せなくなってて・・・。それがどうしてなのか当時わからなかったんです。どうして二個目は成功したのに、回数を重ねるほどダメになっていくのか・・・。わかんなくてわかんなくて、関係のないところばかり修正したりしてて、でも結局わからないんです。そうなると、ちょっとイヤになっちゃいますよね(笑)。それでも、たまーにちょっと良い感じのができると、やる気が出て。また、よーし、と思って次を作ってみると、やっぱりだめで。そんなこんなで、あの当時は成功率は10/1以下でした。13年くらい前の話です。

──でもずーっと持続して作り続けてるというのは、やっぱりスゴいですね。

小曽納さん 持続と言うか(笑)。途中全く作れない時期もあったんです。でも、不思議なことに、たまにつくるとうまくいったりする。錯覚かもしれないんだけど、自分を寝かせた方がレベルアップしてるんですよ。

──一度リセットしちゃった方がいいのかもしれないですね。

小曽納さん うーん、正直わからない。でも、いろいろと試行錯誤を繰り返してるときに、それまでも市販の、素焼き粘土のオカリナの教則本はよく購入してたんですが、オカリナの作り方の本に出会ったんです。オカリナの第一人者でフルーティストでもある小川堅二さんが発行した小冊子に出会いました。それを手に入れて読んでみたんです。そしたら、いろいろ分からなかったり曖昧だったりしたことが、ぞくぞくわかるようになって。もちろんそこに書いてある作り方は全部陶器の作り方なのですが、オカリナの中の構造的な話というのはとても勉強になりました。今でもこれは大事な本です。そのときは、ちょっと劇的に理解がすすんだんです。

──そこが転機になったんですか。

小曽納さん ところが、理解すれば理解したぶん、そのぶんまた深みにハマるんですよ。失敗したときのショックが大きくなって、うーんと暫く動けなくなってたり(笑)。

──(笑)

小曽納さん そこからまた暗中模索に戻ってしまって、しばらく間を置いたりしながらまた作ってみたり。その繰り返しですね。でも、不思議なことですが、木はやっぱり生きていて、昔つくった失敗作を5年くらい置いたまま忘れてて、しばらくぶりに手にとってみると、良くなってるんです(笑)。それを調律しなおして、ということをやってるうちにもう一つ気づいたことがあります。オカリナに適した木材の乾燥状況というのがあるんです。オカリナは人間の吐息で吹くわけですから、すぐに水分を吸収しちゃうんです。だったらということで、適度な乾燥状態の時に、それ以上水分を吸わないように、内側からコーティングしちゃえば、そのベストな状況を持続できるんです。だから、作る行程で、体に入っても無害なオスモのワックスに漬けて油を吸わせてそこから細工をするようになりました。でもまたこれも、歌口との関係でとても微妙なバランスになるんですが・・・。
これをすることで、そのオカリナの一番良い時の性能がほぼそのまま持続できるようになりました。以前だったら3〜4年かけた調整が必要だったんですが、この手順をふむことで大幅に時間が短縮できるようになりました。今年の春つくったものも、もうちゃんと演奏できますよ(笑)。ここにきて、あぁちょっといけるかな、と思い始めてきました。

──長い時間がかかりましたね。

小曽納さん やっと手応えを感じています。

──自分は、小曽納さんのオカリナを初めて触った時、ウィスキーの樽みたいな香りがして、これはなんだろうと思っていたのですが・・・。

小曽納さん あれは、オカリナの中を焼いてる香りですね。 

──その行程はどこではいるんですか。

小曽納さん あれは、指で押さえる穴を調整するときに、ほんのちょっとだけ穴を大きくしたいときに焼くんです。そこで、バーナーで針金を炙って、穴から入れて内側だけを焦がして、そこを崩して音を調節するんです。 

──これは香りを含めて製品ですね。「香るオカリナ」ですね。

小曽納さん (笑)。自分としては香りについては計算外だったですが、この香りが良いという人も多いですね。素焼きのオカリナには無い香りなので。作ってる本人は気がつかないことを、使ってくれるかたに教えてもらうこともたくさんあります。 

──オカリナにベストな木材というのはあるんですか?

小曽納さん やっぱり木材によって音は違います。柔らかい木だと柔らかい音がでるし、堅い木だと堅い音がでます。素焼きのオカリナと木製のオカリナを比べても、音はまったく違いますしね。自分としては、柔らかい木でも堅い木でも、どちらも楽しい素材です。ただ、くるみなどの柔らかい木は、狙いを定めてそこを掘ると別の箇所が割れてしまったりします。イヤリングやペンダントに使った黒檀はとても堅い木材ですが、あれは細かい細工をしても粘ってくれて作業がしやすい。そのかわり刃物はすぐぼろぼろになっちゃうけど。全部の道具を研ぐと、一日くらいかかっちゃいます。刃物研ぎもすごく奥の深い世界なので。 

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"オレはこれをつくっている、
という軸がはっきりしていればそれでいいです。"

──じゃあですね、これからの展望というのは、どういう風にお考えですか?

小曽納さん これからね。とりあえずね、車が壊れたからね。車をまずなおさないと。あと、煙突もこわれてるから、これも治して冬準備をしないと。

──煙突?

小曽納さん 自分で建てた煙突なんですが、煙突掃除を楽にしようとおもって工夫したのが仇になって、ちょっとまずいことになってます。ストーブをたくと煙が逆流してきて、なんだろうと思って外に見にいくと煙突が外れちゃってるんです。

──今(十月末)ストーブ使ってないんですか?

小曽納さん つかってないですね。

──寒いでしょう。

小曽納さん 寒いですね。

──なんとかしないと。

小曽納さん そうなんです。修理のための金具とかも、ちょっと欲しいのを見つけたので、それを手に入れないと。あとストーブの薪も準備しないと。薪の確保も大変ですね。ストーブの性能にもよりますが結構つかうので。最悪、家の木材を切って使うかですね(笑)。薪の話をすると落ち込んできます。春くらいから心配なので。

──うーん。じゃあ、シメとしてこう、作品づくりの今後の展望などは・・・。

小曽納さん 今後の展望ですか(笑)。うーん。こうなりたいという願望は、例えばこんなスタイルで生活できるようになりたいとか、そういう願望はあんまりなんですよね。やっぱり、自分の作りたいものを作り続けたいっていうことしか無いんですよねぇ。たまに道がポンと開けると、それが楽しくて幸せですし。今がそうなんですけど(笑)。

──今。お話をきいていると、小曽納さんは今を生きるのが得意なんだと思います。未来のことはわからんと。でも、オレは今充実している、それが価値だと。

小曽納さん そうですね。オレはこれをつくっている、という軸がはっきりしていればそれでいいです。つくっていることが幸せなら、外見的なスタイルとかライフスタイルとか、そういうものはどうでもいいです。でもまだまだですね。すごい人達はたくさんいますから。納得の行くものをコンスタントに作れるようにがんばる以外に、自分に道はないですから。

──「自分に道はないですから。」ストイックな旅が今後も続きそうですね。今日はありがとうございました。

小曽納さん ありがとうございました。

ずっとつづく旅。画像クリックで拡大します。

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プロフィール

小曽納滝雄
1968 東京都生まれ
高校卒業後、ケーナとオカリーナを携え5年間国内旅行をする。
1993 旭川職業訓練校木工科で家具製作を学ぶ
遊びで作ったオカリーナに魅せられて以来、独創的な
作品づくりに没頭するあまり、次第に行程が増え量産
不可能な「一品物」になる。現在、短期完成を模索中。


モクセイオカリーナ研究所  連絡先
携帯 090-9758-5623
mokusei.ocarina-laboあっとezweb.ne.jp

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