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トップページ > 作家インタビュー:根本佳昭さん

根本佳昭さん:木工房 木素デザイン

──遠い所からやって来て、
森の奥に工房を持って、
いつか手がとどくまで。

インダストリアル・デザイン畑を経、1997年工房「木素(きそ)デザイン」を設立した根本さん。 木素デザインの作品については、コチラをごらんください。

木素デザイン

目次:
勤め人から工芸家へ
高山・松本・旭川
こだわること
「いつか」の話と未来
略歴

"自分の性格からすると、
これは無理だなっていう。"

──よろしくお願いします。根本さんが工芸家になった経緯と、現在のお仕事について伺っていきたいと思います。早速ですが、根本さんは以前は会社員だったんですよね? そのあたりからお話を聞かせてください。

根本さん そうですね。僕が勤めていた会社は、大阪に本社のある電気メーカーで、その中のデザイン部門で働いていました。商品のカテゴリーごとに、いくつかの事業部が全国あちこちにありました。
最初に配属されたのは、大阪の事業部で、そこで3年間厨房家電のデザインを担当していました。そのあと広島の事業部に転勤して、オーディオやカラオケなどの商品も経験して、退職するころは電話のデザインを担当していました。

──まだケータイは出ていませんでした?

根本さん ケータイは、いわゆるオベント箱型や自動車に搭載するタイプだった頃で、当時はコードレス留守番電話が全盛の時でしたね。

──デザイナーとしては総勢何名くらいいたんですか?

根本さん 僕が働いていたデザインセクションは30人くらい。全社あわせて200数十名いましたね。

──何年くらい勤めてたんですか?

根本さん 13年半。

──長いなぁ。

根本さん 旭川きてからもう丸15年です(笑)

──そこからどうして木工家具の道にはいったんですか?

根本さん ちょっと長い話になって・・・大学の時ですね。授業で、家具や電動工具とかのデザインの課題があったんです。ID (インダストリアル・デザイン)の指導者の中に、家具や事務機器メーカー出身の教授がいて、世界の有名なイスを実測してそれを図面化したり、FRPっていういわゆるグラスファイバーを使ってイスを作るとか、角材で作れるリートフェルトのレッド&ブルーチェアというシンプルなイスを実測して、制作させるなんていう授業があったりして、家具への興味を高めさせてもらったんです。
就職は家電メーカーになりましたが、1990年、僕はそのとき広島にいて、実家の茨城まで帰省するときは車で帰ってたんです。その途中で飛騨高山を通るんですが、そこにオークビレッジという家具や建築を手掛ける会社があって、毎年サマーセミナーが開かれているのをしりました。それで、翌91年と92年に参加したんです。
コースは自由制作コースというのを選択して、自分で設計した家具を5泊6日の合宿形式で、オークビレッジの職人さんや修行生徒の指導を受けて作るというものでした。とても有意義な日々で、そんな経験をして、大学時代から興味があったっていうのもあって、そこでちょっと火がついちゃったんですね。

──会社員としての仕事には、その当時どんな印象をもっていましたか?

根本さん 91年92年と、自分で家具を作る経験をして、そのあと・・・、なんというかな。短期間でモデルチェンジを延々くり返す仕事なんですよね。それがあるからこそ仕事として成り立つわけですが、機能追加で、また衣を変える、他のメーカーがこんなもの出したとなれば、またっていう具合に、それがメーカーのID という仕事の面白さというものかも知れませんが、僕には空しく思えてきたんです。そのうち営業部の意見が強くなって、極端に言えば営業部長がデザイン部長になってきたんですね。お客さまとの接点もあり、声を反映しているのかもしれませんが、ジレンマがあったんですね。

──車なんかのモデルチェンジでもそういう話を聞きます。

根本さん 車もそうですよね。やっぱり目新しさがないと、店頭映えしないというか。売りあきちゃうというか、車だと、4〜5年サイクル。家電の場合は早いもので、半年から1年。だからすごく忙しくて目まぐるしくて。

──当時は激務だったんですか?

根本さん 激務ってほどでもありませんが、忙しかったですね。当時、会社は上位のメーカーで、機種の数も多かったので、数機種同時進行、さらに他のテーマがあったりでした。それからちょうどその頃、準管理職になろうかという時だったんですよ。自分の性格からすると、これは無理だなっていう。

──現場にはいられなくなっちゃうとかそういうことですか?

根本さん いや、現場にはいられるんですが・・・なんというか、窮屈になるっていうか。まぁ細かい理由はいろいろあるんですけど(笑)。結局、93年秋に会社をやめました。

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"その当時は
ちょっとストイックに木工の修行をしたいっていう思いが強かったものですから。"

──そして旭川に。

根本さん いや、最初はやっぱり高山がすごく気になってたんです。退職したときは、高山の訓練校にはいるつもりだったんです。ただ、93年の9月に退職して、訓練校が始まるのは翌年の4月からですから、だいたい6ヶ月時間があって、そうなったときに、海外を観てみたい気持ちがあったので、10月の始めから2ヶ月ほど、ヨーロッパをぶらぶらしました。やっぱり家具を観てみたかったので北欧にも行ったし、ほぼぐるっと廻りました。

──周遊ですね。

根本さん そうですね。列車の旅でした。

──いいなぁ。

根本さん 旅の計画はほとんど立てていなかったんです。ホテルも安宿に行き当たりばったりでした。いろんな国で家具屋さんやショールームを見せてもらったりとかしました。インフォメーションセンターで、自分はこういう人間で、これから家具を創る仕事をしたいんだというと、あなたに適当なのはここかな、なんてピックアップして教えてもらいました。ドイツの人は特に丁寧だった印象があります。
日本には12月始めに戻ってきて、いざ高山の訓練校に入学の申し込みをしようとしたら、実はもう閉め切られてて(笑)。

──(笑)

根本さん どうしようもなかったですね。でも家具を創りたいということで会社を辞めたし、どうにかしなきゃ、ということでいろいろ調べました。そしたら、北海道の旭川と北見、それから長野県の松本の訓練校の三つが、まだ2次募集をしてたんです。それで、スケジュールを組んでみたら、移動時間も含めて、3校とも受験できるということがわかって、なんとかどこかにひっかからなくちゃという思いで受験しました。結果、旭川と松本に合格できました。もともと北海道が好きで、それで旭川に。

──松本ではなくて旭川だったんですね。

根本さん 僕が当時商売ということを、もっと冷静に考えられていたら、松本は東京という大消費地のユーザーにも近いし、実家にもちかいし、・・・そういう意味では松本も良かったかも知れないですね。でも松本だとね、会社時代の友人がちょくちょく遊びに来たりして・・・、ちょっとノイズがね(笑)、入ってしまうような気がして。その当時はちょっとストイックに木工の修行をしたいっていう思いが強かったものですから。そういう意味では北海道まで来ちゃうと、天涯孤独ではないけど集中できるんではないかと・・・。でも、旭川がこれほど家具メーカーの多い街だってことは知らなかったんですよ。ただ、学生の時に家具の勉強するために、松屋銀座に行ったときに、そこに置いてあったテーブルが「匠工芸」のもので、旭川に、こういうモダンでかつ木の良さを活かしたモノをつくるメーカーがあるっていうのは印象に残ってます。

──旭川にはクリエイティビティを刺激するような、「何か」があるんでしょうか?

根本さん うーん、はっきり言って何とも言えない部分もあるんですけど・・・。
旭川はもともと花嫁箪笥、いわゆる「箱モノ」の家具が主流だった時期があって、やがて収納のメインが、作り付けが主流になったときに、花嫁箪笥の先行きが怪しくなり、これからは「脚もの」に力を入れていかないと先細りになっちゃうぞっていう危機感があったみたいですね。旭川はもともと職人さんが多くて層が厚いから、全国レベルでみても、腕のたつ職人さんが多いんです。若者が腕を磨いて世界で競う技能五輪大会っていうものがありますが、世界大会に出場して、金メダル銀メダルなんていうひとが、ごろごろいるんですよ。そんな中で、現在全国家具組合の会長に就いていらっしゃる、長原さんという方が、ヨーロッパ留学からもどって、それまでのいわゆる「日本の家具」を世界で通用する方向へと導いたんだと思います。とはいっても旭川にも、いろいろなスタイルがありますが、旭川家具の大きな空気感を包んでいるのは、そんな想いからだと思います。

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"やっかいといえばやっかいです。
使える木材になるまでには、だいたい2年くらいかな。"

──根本さんは今フリーと聞きましたが、フリーの人たちの間で横の繋がりはあるんですか?

根本さん ありますよ。僕みたいに1人でやってる人は結構いて、出身地も日本全国様々のメンバー7人で「旭川工房家具の会」をやってます。

──過去に展覧会もやってらっしゃいましたね。

根本さん そう、「美ら・趣・手(ちゅらしゅしゅ)」っていうのをね。

──ちょっと不思議な作品が多かったと思います。

根本さん うん。あれはね、なんでああいう作風にしたかっていうと、要するに「売りもんじゃないものを創ろう」っていうのが最初のキーワードだったんです。旭川では、木工家がこんな面白いことやってるぞって、メディアにアピールしていこうなんていう想いがありました。ただ、メンバーの中には、売りもんじゃないものを創る余裕はないとか、最後まで方向性はまとまりませんでしたが、結果的にいろんなバリエーションの作品になって、お客さまも楽しんでくれたみたいです。

──天井からつるされたイスとか、キャビネットの中のストッキングとか。

根本さん そうそう。
継続したら、面白いものになっていったんでしょうけど、それぞれの考え方が違いますから、当初は2年とか3年に一度の割合で開催するつもりでしたが、いまだに2回目開催のミーティングもないままです。

──(笑)おもしろかったです。例えばそういったアーティスティックな作品もそうですが、実用的な家具をつくるといったときに、どれくらい期間がかかるものなんですか?

根本さん うーん。例えば、複数つくることを前提にイスを1脚だけつくるとしたら、とても時間がかかります。イスの大変さはオブジェ的なイスは別にして、美しさ、強度、座り心地などを充たさなきゃいけないし、曲線を多用することも多いので、ある程度デザインが決まってから、着物をつくるときの型紙みたいに、木材で型をつくって、その型にならわせて木を削っていく行程があるので、最初の1脚は時間がかかります。試行錯誤の時間もかかりますから、僕の場合なんだかんだで一ヶ月以上はかかります。一度、型ができてしまえば、4〜5日というところでしょうか。

──素材にはどのようにこだわりますか?たとえば自分で山に入って木をきっちゃうとか(笑)

根本さん 木っていうのは、基本的に山から切ってすぐには使えないんですよ。切ったばかりの木は、だいたい60〜70%くらいの水分を含んでいます。家具として使うには、それをスライスして乾燥させるんですが、天然乾燥の限界は15%といわれています。それだと、家具にしたときに、木が暴れてあちこちに狂いが出たり、割れたりするおそれがあります。 

──割れてしまう。

根本さん 割れたり、反ったり、ねじれたり。だから家具として使用する木は天然乾燥の後、人工乾燥機に入れて8%以下まで下げた木材を使います。それでも、家具を使う環境によっては木は伸び縮みするので、やっかいといえばやっかいです。使える木材になるまでには、だいたい2年くらいかな。

──2年。長いですね。

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"きままにやってます。
だれも叱ってくれる人もいないし(笑)。"

──根本さんのお仕事の進め方についてすこし教えてください。まず、どうやって受注するのですか?

根本さん 旭川では、年間4回旭川家具組合が季節ごとに家具展を開きます。ありがたいことに、僕ら「旭川工房家具の会」のメンバーも、組合の展示場の中にブースを持たせてもらってます。そこに、それぞれの家具を常設展示してあり、家具展の時には、各自その場に立って接客応対します。いろいろなところから、お客さまが来るんです。なかなか即注文とはなりませんが、あちこち探しまわったけど、イメージ通りの家具が見つからないっていうお客さまが意外に多くて、そこで、作りませんか?という話になることもあります。他には、デパートでの展示会や家具組合をあげての東京や横浜などでの大規模な展示会などに参加したり、旭川空港のロビーを展示スペースとして提供してもらい、お客さまとの接点を作り、注文をうけたりもします。
その他に水戸と奈良の家具屋さんに置いてもらっていますが、ほとんどが、旭川家具組合さん中心で仕事をしています。

──いままでイスの話を例としてお聞きしましたが、イス以外の注文もあるんですよね。

根本さん 注文は、どちらかといえば、キャビネットやテーブルが多いです。イスはありとあらゆるものが、いろんなメーカーさんから出てますし、価格もこなれているものがある一方、キャビネットなどは、お客さま独自の使い方に合わせる為、オリジナルの家具として製作を依頼されることがありますね。ほかにも棚や額、小物 など一通りなんでもつくります。

──作業は主にご自分の工房でされるんですか?

根本さん そうです。農家の納屋として使われていた建物を使っています。そこに機械を入れて。

──うーん。冬は寒そうですね。

根本さん そうなんです、風がすごく冷たいんです。

──風?

根本さん 工具って刃物がついていて、それが回転して木を加工していくんですが、それが回るときの風がすごく冷たいですし、工具って大きな鉄の塊なので、もし濡れた手でさわったらくっついちゃうんじゃないかってくらい冷たい。

──子供のころ氷柱を舐めて舌の皮が剥けたことがあります(笑)

根本さん (笑)ストーブも一応あるんですが、どんなに頑張っても10℃くらいまでしか上がらないですね。氷点下になると、糊付けと塗装に問題がありますので、中を仕切って、空間を狭くして温度を上げてますが、15℃がやっとですね。

──1人で作業をしてると、スケジュール管理が難しいと思います。例えば根本さんの一日はどんな風に過ぎて行くんですか?

根本さん 特にスケジュールは組んでいません。だから今日もこんな感じで話をしているし(笑)。本当は、土日はちゃんと休むとか、朝9時から夕方5時まで仕事で後は休むとか、きっちり決める方が、規則正しいし、めりはりあっていいんじゃないかと思いますが、仕事の量の波が激しいし、もはや会社人間じゃありませんので、きままにやってます。だれも叱ってくれる人もいないし(笑)。 

"恥ずかしい話ですが、
ものすごく惚れ込んでしまっていたので・・・"

──お1人ですもんね。そして最近パートナーのいつか(犬)が亡くなったと聞きました。

根本さん そうなんです。11年半一緒でした。犬の死がこれほど辛いとは、一緒に暮らしてみてはじめてわかりました。

──次に別の犬と暮らそうと思わないんですか?

根本さん うーん。さみしいからそうしたいとも思うんですが、でもめぐりあわせがありますし、恥ずかしい話ですが、ものすごく惚れ込んでしまっていたので。一緒に暮らしているうちに犬じゃなくて人格を感じて、尊敬してしまうくらいの気持ちになって、どっちが主人かって感じるときもありました。
だから余計、もうちょっと気を鎮めてからじゃないと、新しい犬を迎えいれるのは、わがまま過ぎるっていうか、人だけの都合で生き物を飼うのはどうかってね。

──いつかとはどこで会ったんですか?

根本さん 97年に工房を開いたばかりだったんですが、友人が「工房も開いたし犬でも飼わない?」って電話くれたんです。知り合いの学童保育所で7匹産まれて、もらい手を探しているって。小さい頃からいつも猫はいたんですが、家で犬を飼ったことはありませんでした。
犬はかわいいとは思ってましたが、自分のパートナーとして飼うなんて考えてませんでしたので、とりあえず、おつきあい程度に見に行ってみたんです。そしたらやっぱりかわいいんですよ。オスの子犬は行き先が決まっていて、残りはメス3匹だったんです。2回目に行った時、飼ってみようかな、と思い、次に行くとしたら、一緒に帰ってこようと思ったんです。で、結局、譲りうけるつもりで、小屋をつくって、首輪を準備して、3回目の訪問をしたんです。そしたら、2回目に訪ねたときにおよその目星をつけてた犬が、その日にかぎっておなかをこわし、病院帰りで、気になりましたので、残りの犬にしました。それがいつかでした。これもめぐりあわせだと思います。
そこでは「みっち」という名前で呼ばれてましたが、いろいろ想いもあって「いつか」と名付けました。

──いつかという名前は不思議な魅力を感じるんですが、どういう由来なんですか?

根本さん いつかは "someday" の「いつか」ですね。いつかもっといい家具をつくれるようにとか、いつか未来では幸せにとか、そんな願いを込めてつけました。今となっては、いつかまためぐり会えますように・・・です。

──いい名前ですね。





──────────────────────────────────────────

──では最後に、根本さんの今後の展望をお聞かせください。

根本さん まぁ、変な話、生きていければいいというか(笑)。今を生き抜くということですね。ただ、せっかくこの道を選んだので、これからもちゃんとした家具をつくって、それがお客さまにも伝わって、「いい家具と出会えたな」って思ってもらえるようになりたいですね。メイド・イン・ジャパン、メイド・イン・アサヒカワ、そして人に喜ばれる「ものづくり」を続けていきたいなと思います。

──いつか僕も、根本さんの家具を買えるようになれればいいなと思います。今日は長い時間どうもありがとうございました。

根本さん ありがとうございました。

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プロフィール

根本佳昭
1957 茨城県生まれ
1980 筑波大学芸術専門学群生産デザインコース卒業
  大手家電メーカー入社
  白もの家電、オーディオ、電話等のデザインを担当
1993 家電メーカー 退職
1995 旭川高等技術専門学院 木工科卒業
1996 旭川高等技術専門学院 非常勤講師
1997 木工房 木素デザイン開設
1999 東京国際家具見本市
2001 暮らしの中の木の椅子展 入選
2001〜3 パシフィコ横浜、旭川家具展
2005 東京国際家具見本市
2007 北海道の木工家による木の椅子展出品

他 リビングセンターOZONE(新宿)、横浜高島屋、横浜そごう、
広島福屋、阪神百貨店などのクラフト展に出品。


大学では、家具業界出身の教授により、電動工具のデザインや、家具に関する講義を経験し、家具への関心を高めた。
1990年に、飛騨高山で、家具及び建築に携わる集団、オークビレッジの施設を見る機会があり、91年92年、夏の家具製作セミナーに参加し、それが、自分で家具を製作する道へのきっかけとなる。


〒078-1273
旭川市東旭川町米原721-3 木工房 木素デザイン
tel/fax 0166-76-2600
携帯 090-6875-3058
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