この記事は、くりんくらんのお友達や有志の方々がいろいろなことを喋る「みんなのはなし」カテゴリーです。
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(「拡張家族」は “extended family” の直訳です。)
クラフト・マフィアというのがあります。
血縁・地縁のソーシャルキャピタルが解体し、学校や会社で担保されていた帰属意識もあやふやな現在、よるべない宙吊りの個人はいかにしてこの”喪失”の悲哀を乗り越えることができるのか。
みたいな青ざめた問題提起に対して、うっとおしいことをいうな、つまらないなら楽しいことをやりなさい、なんならいっしょにやろうぜ、というのが現代DIYの倫理です。
それをやりはじめたのがクラフト・マフィアで、結局何なのかというと、テキサスのオースティンで9人のクラフトビジネス(手芸・工芸ということだと思います)をしていたグループが、クラフトへの愛・DIYの倫理・相互尊重を理念に、一人じゃ払えないビジネスの広告費なんかをプールしておく場所として結成したのが最初です。現在は世界中に支部が設立され、41の拠点ネットワークをもっています。
参加条件として、
- マフィア支部は一つの町にひとつのみ(本部はオースティン)
- 初期メンバーとして最低3人が必要
- 支部専用にウェブサイトを立ち上げて、オリジナルのロゴをつくること
- 家族全体の宣伝広告と本部の運営のために、年に一度250ドル支払うこと
そうすれば、拡張家族の一員としてクラフト・マフィアの名乗りを上げることができ、もちろんその名前で商売もできる、ということです。広告をのせるメディアは、全支部の投票によってきまります。
広告の対象がまだグローバルでは無いようなので、日本から参加する直接的なメリットはあまり無い(実際わかりません、もし日本で参加されている方がいたら教えてください)と思いますが、スタンスが楽しいと思います。あと、まつりごとが乱れたときの自助集団というかんじで、全てはオカミが勝手にやってること、うちらにはかんけーねぇみたいな、水滸伝とかの任侠小説みたいで格好いいとおもいます。Webとか雑誌の紹介のされ方もおしゃれでたのしそうだし。
興味深いのが、”extended family”です。参加すると家族の一員になります。参加するといっても、別に義兄弟の杯を挙げたり血判をおしたりするんじゃなくて、たんなるインターネット上の手続きです。そして家族といってももちろんいっしょに暮らすわけじゃなく、支部同士は距離的に離ればなれで、ただ名前を共有するだけです。これからどういう風になるのかわかりませんが、今のところどこの支部が金銭的に困ってるからみんな援助しよう、みたいなことも無いようです。これをどうしてファミリーと呼ぶのか。拡張ってなに。本部はなぜ、運営上のテイストとして、こういった雰囲気を採用したのか。あのスマイル0円のマクドナルド的サービスの国で、ここはむしろ家族のつながりなんだよ、と言うことで人が集まるのはなんか変だとおもいませんか。自分はフランチャイズ契約よりは、うっとおしいことをいうな、いっしょにやろうぜ、という方がたのしそうだし嬉しいことも多そうなのでそっちを選びますが、そういうことでしょうか。いずれにせよ、クラフトの理念を軸にそれぞれローカルで閉じたコミュニティがインターネットを介してつながっていくのを、マフィア一家が内輪を広げ世界のいたるところで繁栄していくという比喩になぞらえるのは、人をひきつけてある程度の成功を収めているようです。
“extended family”がつながりを広めていくときに効果ありだったというのは、感覚的に納得できます。だって家族なんだから!、と言われると、チッ、しゃーねーな、となってしまうあの感じには、敷居をひくくする効果があります。というか、そもそも家族なんて血縁も距離も関係なかったんじゃないでしょうか。言葉の意味するところ自体すごく抽象的だし、血縁よりももっとユルい解釈でいいはず。そういう拡張された家族づきあいは、さがしてみるとけっこうあります。くりんくらんまわりのご近所付き合いはそういうゆるい関係性です。かたるべの森構想が目指すところにも、自分はそういう雰囲気を感じています。
くりんくらんの周囲では、というか多分どこの田舎でもそうだとおもいますが、野菜やお酒やちょっとしたお土産なんか(つまり思いつけばなんでも)を、まるでどこかで読んだの南の島の経済みたいに知り合いの中で回すということをやっていて、そういうことをやってると今晩のおかずが全部もらいもので盛ってる皿ももらいもの(かたるべの森の失敗作)みたいな現象がおきます。別にそうしようという相互扶助の契約をしたわけじゃなく、自然とそうなってます。たとえばどこかのお母さんが急に倒れたとなれば、その一家はその瞬間からにっちもさっちも行かない状況に陥ってしまうので、そういう場合はご飯や洗濯や寝る場所を提供して助け合うといった感じです。他人の家庭とを隔てる垣根が低いのでプライバシーがどうとかはご想像の通りですが、そもそも他人にみられて恥ずかしいことをしないというラインの生活倫理はたとえ独りで自給自足していようとも必要なことですし、人である以上避けられないめんどくささというか生きていることに付随するヨゴレ含みで引き受ける態度が必要になりますが、人が関わると意外なことが起きるのでそれが楽しくて、結局皆お互いさまだと思っています。家族じゃないですが、ある一定の関わりを絶やさず維持しているということで、「いっしょにやっていく」ネットワークができています。(と僕が代表するみたいなことを書きましたが、くりんくらんWeb担当はそう感じているということです。)
「かたるべの森構想」はとても遠大な計画です。イメージがでかすぎて語る言葉がおいつきませんが、基本は障害のある人が地域の中でくらしていける場を作る、ということです。家族が亡くなった後も、作業をする場所を用意し、寝泊まりする場所を用意し、生活可能なコミュニティを用意するということです。一生そこで生きられる場所をつくるということです。かたるべの森構想では、さらに所有する山全体を使って、障害・健常の隔てなく人をまきこみ共生する「芸術の里」をつくろうとしています。
今後どうなっていくのか、自分も関わりのある人間として楽しみです。人間のライフを引き受けて、その場所で共に生きるという仕事は、まさに拡張された家族としての共同体を維持していくということです。もちろん生き続けるために金は必要ですが、それは他のビジネスのようにグラフで表現できる性質のものにはならないと思います。人なので。人であるからグラフから漏れてしまうんですが、その漏れる部分が他のビジネスには欠けている魅力的な部分です。
自分がクラフト・マフィアに興味を持ったのは、その漏れる部分をあえて拡張家族”extended family”として強調しているのがいいなと思って可能性を感じ、かたるべとかくりんくらんもこの線かなと思ったからです。そして、「足りないことは自分らでやる」DIYが、日本のサービス地獄から救ってくれるんじゃないかと思ったからです。
なんかうまくまとまとまりませんでしたが、そろそろ監視カメラ以外の何かを発明しようよ的な意味でひとつ。


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